黒野さん242. 宿里恭一郎 | |
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(つい三ヶ月前も似たような時間に自分はこの場所を訪れていた。夏の名残を残しつつも、秋の気配が深まった早朝の風が優しく歯車の看板を揺らしている。宿里は、掌に乗るくらいの小包をその店のポストの上にそっと乗せた。郵送でも良かったのだろうが、中身が傷付くことを恐れての自前宅配。盗まれはしないだろう。此島は民度が高い。一度、店の上、おそらくは彼の自宅があるだろうアパートへ視線をやり、宿里は出勤の為、その場を去った。さて置き去りにされた小包の中身は、丁重にラッピングされた黒のベルベット地の小さなジュエリーボックス。開けると石が、マットの上に鎮座している。指輪に嵌め込みができるよう、エメラルドカットと脇石にスクエアにカット加工されていて、小さいながらも輝きは本物だ。メッセージカードが添えられていたが、どうやら一枚にまとめきれず、同種のものが二枚連なり同封されていた。) 誕生日、おめでとうございます。黒野さん。 以前お借りした指輪。 機能美に傾いたあのデザイン、僕は個人的に好きです。 が、もし…もうひとつ、牙の予備を作る予定があるのならと思い、 貴方にこれを贈ります。 選択肢は多い方が可能性が広がります。 装飾に振り切った牙があっても良いと思うんです。 良ければ使ってください。 黒野さんの手先の器用さがあれば、 この石を指輪に嵌め込むのも、そう難しい話じゃないでしょう? 完成したらまた見せてくださいね。 (石は、かつて彼が己の目を例えた星と似た色をした柘榴石(ガーネット)。人間が出歩けない新月。彼の牙に『自分の目』があれば、もっと色々なものを見ることができるだろう。あの夜、紛い物へと成り下がるも至ったあの場所へ、もう一度近づけるかもしれない。そんな滑稽な発想とエゴに満ちた一方的な願いに満ちた品である。…否、)…そもそも、プレゼントってそんなものだ。(瞳を閉じて、一人緩やかに微笑み呟いた声は、朝の風に溶けて。) | |
宿里さんへ243. 黒野 | |
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(9月9日、いつものように開店作業を終えた後カウンターで小包を解き、姿を現したジュエリーボックスに目を瞬かせた。時計店で宝飾品を扱うことはあるけれど、黒野個人としては縁がない。箱そのものが極めて繊細な存在のように思えて、慎重な手付きで蓋を静かに開ける。中に収められていたのは深紅の石……カットが施されていることから、鉱物と言うよりは宝石だろうと推測する。室内の灯りを受けてちらちら踊る煌きを見つめながら考え込む。石に疎い自分は、赤い宝石と言えばルビーやガーネットくらいしか分からない。添えられていたメッセージカードをもう一度読み、小さく笑う) ──これは、精魂込めて作るしかないなあ。 (ルビーかガーネットと見当をつけたが、十中八九ガーネットだろうと考える。自分の「指輪」への言及は、あの新月の夜を連想させる。そして送り主の瞳をガーネットの名を冠する天体に譬えたのは自分だ) 素敵な品をありがとうございます。正直言って、ケースを見たときは驚きました。こういったプレゼントを貰うのは初めてでしたから。 宝石を使った加工は試したこともありませんでしたが、ご期待に応えるために頑張ってみようと思います。 きっと素晴らしい牙にしてみせます、楽しみにしていてくださいね。 完成したあかつきには、一番最初に宿里さんにお見せしますから。 黒野 (シンプルな白い便箋に紺色のインクで綴った手紙をポストに投函し、帰り道を物思いに耽りながら歩く。その口元は期待めいた笑みを形作る。考えなければいけないことはたくさんある、指輪に石を嵌め込むならどう加工するか、石をどう配置するのが良いのか。そしてガーネットと思われる石を「牙のために」贈った、かの学芸員氏の心中について。……銀色の牙持つ指輪に紅い石は血のように馴染むだろう、想像してまた笑いを噛んだ) | |