山田太郎様274. 暗夜景虎 | |
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ああ、勿論だ。今度の祭りの時はしっかり働かせてもらうとも。さすがに事務仕事は無理だが、テントの組み上げも櫓の設置も任せろ。だから当日は頼んだぞ。偶には、ごちゃごちゃした細かいこと全部を”忘れちまうくらいに”…もてなしてやってくれ。(ホワイトデー当日。男の姿は島のとある神社にあった。『交渉』を終え、気安く宮司の肩を叩く。昔の同級に気兼ねしない男の表情はどこか柔らかく、それが恋人を想う故だと相手へツッコまれれば、もうすぐ見頃を迎える梅へ話を持っていくのだけれど、虎は相変わらず話を逸らすのが相変わらず下手だね、と笑われてしまった。) (ホワイトデーもすっかり過ぎたある日、教会へ、差出人が墓守の名で、一通の封筒が届く。中には、花弁の形に切り抜かれた薄紅色の和紙が一枚。『招待状』と筆ペンで大きく綴られ、事前に事務員に確認済みの、恋人の空いた日、日中の時間、知る人ぞ知る梅の名所のひとつである神社の名、『宮司を訪ねるように』とただ一言、記してあった。その日が雨でないことを祈りつつ、迎えた当日。恋人が文面通りに所定の場所へ向かってくれるのなら、出迎えるのは和装姿の青年。「山田神父様ですよね、虎…いや、アンバーさん?でしたっけ?から聞いています。お待ちしていました。こちらに。どうぞおあがりください。」 恋人がこの状況を不思議に思い、辞退するならそれまで。宮司も無理強いはしまい。されど、促されてくれたのならば、やがて前髪に覆われた蒼黒へ映るのは社務所裏手にどっしりと生えた梅の古木のはず。雪に見間違うほどの純白さ際立つ梅は丁度見頃を迎え、強い花香を漂わせている。その近く、一等陽当たりの良い場所にあるのは、野点傘と、赤い毛氈の床几台。…彼の為だけに設置された『茶席』が其処にあった。宮司曰く、お茶と茶菓子を用意してあるとにこやかに。「本来であれば季節の菓子をお出ししたいところなんですけど、菓子も俺が選ぶときかなくて…。でもきっと気に入るはずだと押し切られました。珈琲はもちろん、やっぱりこれは茶にも合うなとかなんとか嬉しそうに話していましたよ、…まあその辺の話はともかく。お茶席のルールなどに囚われず、どうぞごゆるりとお過ごしください。僕はお茶を点てたら奥に引っ込んでますが、おかわりも遠慮なくお伝えくださいな。むしろ遠慮されると僕が虎に殺されます。」 戯れにそう伝えて、実にフランクな茶会の準備を始めた。恋人が声をかけぬ限り、穏やかな時間の邪魔をすることはあるまい。男の友人は空気のように存在感を薄めるのが得意な、そういう鬼だった。) (はらりと、花弁がなんとなしに庭へ落ちる。愛しい人のためだけの、小さな小さな茶会。良質の泡立つ抹茶が運ばれるその前に出されたのは、いつかの豆大福。 ――どうか穏やかな良き春の一日を。) | |
茶会の主、亭主殿275. 山田太郎 | |
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――招待状…ですか。 (そんな素敵なものを自分宛てに頂戴する日が来ようとは。しかも仕事の関連ではなく、私用において。ピンポイントで指定された空き時間に関しては、妙に良い笑顔で見送って来た事務青年が一枚噛んでいるに違いない。よもや神道において神父の出番は無かろうとは思えども、結局いつものカソック姿で鳥居を潜る。出迎えに来てくれた若い宮司と対面すれば深々と頭を下げて、様付けで呼ばれるくすぐったさにそわそわとした。恋人の名が出れば尚の事、帰るという選択肢は考えもしない。お邪魔します。促されるまま歩を進めた先、目に入った景色へはたりと歩みを『忘れた』) (咲き誇る梅の木。その傍へ設えられた紅い茶席を、暫し魅入られたように見つめていた。再び進めた歩はふわふわと雲を踏みしめているかのような具合である。見頃の梅を褒める言葉も、鮮やかな緋毛氈の仕立ての感想も、全て頭の中にあるのだがどうも口が仕事をしてくれない。にこやかな宮司の語りに辛うじて返答はするものの、すっかり予期せぬ花見の席に感銘を受け切っていた。すとんと腰を下ろし、黙して花を仰いだきり。ようやくと、我に返る事ができたのは憶えのある菓子の登場があったから。饗された豆大福に思わず、笑みが零れた) では、お言葉に甘えて…遠慮なく、ご馳走になりましょう。…ご自身のお仕事もありましょうに、席を設けてくださって有難うございます。…あの…それと…あとで写真も、撮って構いませんか…? (いそいそと、一体カソックコートのどこに忍ばせていたのか。黒いフィルムカメラを取り出すと、宮司の許可を取ってから後ほど、見事な枝ぶりの梅を撮らせて貰おう。頂戴します、と一声かけてから懐紙代わりに白のハンカチを使って大福を頂いた。間もなく運ばれてきたお茶を受け取れば、右手で持ち、三口で飲み切る。口を付けた縁を指の腹で拭ってから、空の器を手で包んだまま。青空を背景に淡い白を溶かす花の佇まいを愛でよう。思い出したように茶碗を置いて指をハンカチで拭きカメラを持って、ふと、春を告げる鳥の囀りが耳を打った。滑らせた視線が捉えたのは一羽の鳥。迷わずファインダーを覗いてシャッターを切ってから、小さく息をついた。念のため二枚目もと思ったが、気紛れな野鳥がこちらの都合を汲み取るはずもなく。思い立って立ち上がった神父に吹いた風へ乗った幾枚かの花弁達。何かと世話を焼いてくれた神社の主に礼を重ねてその場を辞した。まずは手紙を書いて――写真を現像に出して――こうしてはいられないぞ) (それから数日。花見の茶会を設けてくれた礼は、井戸端なり墓地なりで会った時に恋人へは告げるつもりで、それとは別にしたためた手紙。いつもの白い封筒に、鳩が四つ葉を銜えたイラストの入った便箋もまたお馴染みのものだ。加えてそこに同封されていたのは、梅の枝に一瞬だけ留まった一羽のウグイスの写真。よく梅の花の蜜を吸いに来るメジロではなくて、正真正銘の春告鳥であった。それと、庭先から教会まで連れ帰った花の名残の、花弁が幾枚か共にひらひらと散るだろうか) 景虎さん 先日は思いがけず、素敵な一席を用意してくださって有難うございました。 景虎さんと季節を過ごしていると、思いがけない事が沢山起こるようです。 次は是非とも、貴方と一緒に。 (梅に鶯とは正しく理想的な早春の景色。その時その場に彼が居らずとも、この取り合わせが実現した奇跡を伝えたいと真っ先に願った先は、大切な恋人だった) (――こうして時間を分け合ってから間もなく、二度目の春が巡り来る) | |
ーー277. アンバー | |
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(恋人の神父が教会へと戻った後、その日の夕暮れ時。すっかりと茶席の終わった静かな梅香る庭園では解体が始まっていた。野点傘を折りたたみ、赤い毛氈へと手を伸ばした目の前をふと花弁がちらつき、古木を見る。墓守にとって梅の花は特別で一等好きな花だった。匂草の別称に相応しく、その香りは心を和ませ、何時間でも見ていられる。―――彼も、そうだったのだろうか。夕暮れの橙に染まる白い花に想いを馳せて、"その光景"を思い浮かべた。『頭の中に、たくさん世界を持っている人みたいだね、虎の良い人は。お前には色々と見せるのかなぁ、ふふ、なんだかそんなことを考えていたら微笑ましい気持ちが止まらなかったよ。』訪ねた早々、そんな風に茶化してきた友人と、片付けが終わった後には、夕食を共にする約束をしている。その時にでも『今日の茶席』について聞いてみよう。梅を見たときの顔だとか、茶を飲む所作だとか、豆大福を見たときの表情だとか。己が傍にいない時の相手を知りたい。これは間違いなく……『それって独占欲?』。夕飯時、馴染みの店で饒舌に尋ねる墓守に、友人の笑いは酒へと落ちた。) …ほう、上手いこと撮れてるな。(届いた封筒。中に収められていた写真を見る男の目が和む。まるで今にも静の世界から、鶯の鳴き声が聞こえてきそうな日常の断片。それから、はらりと床に落ちた白い花弁。拾い上げると、あの日香った春と共に、恋人をふと近くに感じたのはこの花弁が先日まで恋人の傍にいたからだろう。彼の見た風景を見て、彼に連れ添ったものに触れて、最後綴られた文字を読んでしまえば、)……探すか。(胸に広がる甘く柔らかな慕情を噛みしめながら、管理小屋の窓より森を眺める。共に過ごす二度目の春は、昨年よりもとっておきを目指して。今日は休日。だから今すぐにでも動き出したいところではあるが。ああでも、何はともあれ。……弱ったな、とひとりソファーへ座る。今は無性に恋人に会いたい。) | |