山田太郎様306. − | |
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(夏の雨はいつだって突然に。それまで澄んだ青空が広がっていたというに、ぽつぽつと雨雫が落ちてきたが数分後には、篠突く雨となっていた。傘など持っていなかった男は近くの軒下に避難し空を仰ぐ。曇天と晴天の入り混じる色にじきに止むことが分かれば、浅い息を吐いて荷物を持ち直すと時間潰しに店内へと入った。「おー。えらいおっきいひとがいたかと思えばお前さんじゃったかい。」しゃがれ声が親しく響く。よく墓参りに訪れる馴染みの翁だった。)こんなところで店を出してたなんてな…、(「始めたのはあいつが逝っちまってからさ。向こうには銭も何も持っていけないからのぅ。今のうちに売っちまって、儲けた金であいつに花でも供えてやろうと思ったんじゃ。」茶目っ気の声に、黒檀を和らげる。亡くなったパートナーのことも自分は知っているが故、)よく言うぜ。まだこっちに来るなって追い返されるくらい元気じゃねえかい。…しかしよく集めたモンだ。(商品は家具に特化している。ソファや机、棚に照明類、などなど。手製のものもあれば一体どこから仕入れたのか、此処ではあまり見かけない雑貨もあるようだった。ハイカラでコレクター癖のある翁。墓参りの時にも一風変わった品を自慢げに見せてくれた。「なかなかのモンじゃろう?」と得意げに話す声にああ、そうだなと空返事したのはある一点に目を奪われたからに他ならなかった。やがて思わず、ふ、と柔らかに気付けば笑っている。) (どうにも、自分には衝動買いの気があるらしい。 ラッピングされた箱を抱える頃には、もうすっかり雨はあがっていた。) (今夜も昼の通り雨が嘘のような、月の綺麗な夜。ラジオの代わりにすっかり馴染みとなった演奏を聴きながら、男はアレを受け取るだろう恋人を思う。ラッピングされた箱からお目見えするは、月のランプ。グラスファイバーなる素材に3Dプリンタで精密に月の表面を再現した間接照明。調光可能なそれは丁度掌に納まるサイズ。温白色と柔黄色の2色切り替えが可能で、灯せば地上に月が降りたつ。ポケベルでの会話を思い出していた。例えば月に行き、新月が失われ本能に支配されない日常が当たり前になったとしたら、きっと彼の話した一般論は正しい。一方で、月へ行ったとしても培ってきたものも過ごした時間も失われる訳ではない故に。良いことも悪いことも全部ひっくるめての、今。少なくとも、―――。送り主の名が記載されていない和紙のメッセージカードにはこう綴られている。) 先日の礼と詫びだ。受け取ってほしい。 (もうひとつ。思い浮かんだ言葉をラッピング箱の底へ綴ることにした。 彼が気付かぬとも構わない。何せこれは自己満足の宣言に過ぎぬから。) Nothing is going to change my love for you. (ラジカセから流れるは、Fly Me To The Moon。わたしを月へつれていって。 さて、望まれているものとは違うが、言い替えればつまりのところは同じだろう?歌詞をなぞった思考にひとり笑う。 あの小さな月が、愛しい君の夜をささやかにでも彩りますように。) | |
暗夜景虎様 ――もしも届いているのなら307. -- | |
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(夜になっても気温計は二十八度の前後を彷徨っている――この所の暑さには、さしもの無頓着も辟易していた。いくら気温の変化に鈍感と言えども生き物であるからして汗をかくし、水分が足りなければ喉が渇く。今年ばかりはあまりに日中の気温が高い日には、やむなくカソックコートを脱いで出かける日もあった。なんと嘆かわしい。今日は通り雨があったから、まだ少しは楽だったけれど。一日分の汗を流した後にも、すぐ眠る訳ではないので日中と似たような格好でシャワールームから出た。急用があれば出掛けねばならない。着慣れたシャツのボタンを留め終えて、革靴の代わりに素足をサンダルへ滑り込ませてから屋根裏の私室を目指した。肩からかけたタオルで髪を拭きながら、唐変木はぼんやりと今日一日の情報を見返している。ぎしぎしと鳴る階段のリズムに添って思い出す。一昨年の夏、去年の夏。二年分ではサンプルデータとしてはいまいちであるが、大きな事件が無ければ今年もまた、似通った夏が過ぎていくだろう。過去の統計から明日の天気を割り出すのに似ている。当たらずとも構わない予報。不完全に過ぎるお粗末なラプラスの悪魔。なにせ自分の予想より、雑誌に載っている星占いの方が正鵠を射ている事もあるのだから、思わず笑ってしまう。自らの影に悪魔を飼う男は、辿り着いた自室の電気をつけた) (山積みになった聖書、多く付箋を貼った宗教学の本。それらから少し離れた机上の中央に、ラッピングされた箱があった。中身は、届いた時点で既に開けていた。その現代技術の結晶ともいえよう絡繰りの試運転も、大興奮の内に済ませている。差出人の名は無かった、が。『月を贈ってくれる人』などは、山田太郎の脳裏にたった一人しか思い浮かばない。箱に近づいてメッセージカードと品物を丁寧に取り出し、通電を済ませて温白色の月を天井へ映して見上げた。電灯の明かりにかき消されそうな、まるで真昼の月のよう。ぽつ。拭き損ねた髪の先から一滴だけ。屋根裏の床板に雨を降らせた) (月の無い夜の話) (本当の新月に、彼と会った事は、まだ無い。しかし、長く付き合って行けばそれはいずれ避けられぬ邂逅/遭遇/逢瀬になるだろう。喰うか喰われるか。奪うか奪われるか。そのように語った事もあれば、終始抱きしめてくれないかと叶わない我が侭を希ったりもした。誰かの、彼の意に添わぬ暴威の荒れ狂うのが酷く恐ろしくて、一年近く吸血の仕方に四苦八苦していたのも記憶に新しい。全ては、ただの此方の事情であれども。然り、自分はこうも容易く変わってしまう。これからもそうだろう――あてにならない天気予報――結局、未来の事は誰にも分からない。ここに来るまで、来てからも暫く、『自分と同じく自我と尊厳のある人間』を喰らっているという自覚には厳重に封をしていた。ヒトはパッケージされた豚肉を美味しい美味しいと食べるけれど、いざ一頭の生きた豚を目の前にして好きに食べていいと言われても怖気づくだろう。食べやすいカタチに、罪悪感など抱かないのが当たり前のように消費していた血液との正しい向き合い方とは?答えが出なければまた自分は同じ迷路に迷い込むだけと、溜息をつく。どうせ答えが出ないのを解っているから、役割に徹するのを選んだのだろうに。上向けていた顔が段々と下を向く。ああ、でも。一度部屋の電気を消してからランプの元へ戻ると、あわい黄の色へ変えて手に持った。天井から床、自らの足元へ月を下ろす。膝を突いて、暗がりに揺蕩う満月を見た) …まさか、本当に月へ連れて行って貰えるとは。 (自らだけに許された天体に手を伸ばし、指の影が紛れ込むのを楽しみながら、気づけば陰鬱とした思考はどこかへ行っている。彼は憶えているだろうか。家のカーテンを全部引いて、明かりも消したらそれは新月と何ら変わりないのではないかと、或る梅雨に自分が言ったのを。奇しくもこの贈り物はそれとは真逆だ。このランプが照らす所は、いつでも月が見えるのだ。用途としては間接照明だろうが、この時間に使っていること、他に光源が無いのもあって、それは十分に明るかった。そそくさと白いレポート用紙とペンを持って、少々行儀が悪いと思えども『月』の近くに座り込むとそこで文字を書き始めた。とはいえしたためたのは一文。『彼』に倣い、差出人は伏せておこう。なにせ、この手紙は届くかどうかわからない。ランプのお礼は口頭で伝えるとして――書き終えた手紙をせっせと熱心に紙飛行機の形に折りながら考える。あの箱の底に書かれていた文字のように、たまには読まれるかどうか、届くかどうか分からない想いも楽しかろう。そう考えるのはきっと、これは奇しくも何度も口にしていた感情でもあり『今回のこれで届かなくとも、既に相手は了解してくれているだろう』と愛情のゆえに信頼もしているから。手には一通の飛行機、墓地の側に向いている窓を開けてそこから飛ばそう。夜風の助けを受けて飛び去るそれの行方を、窓枠に肘をついて見送った) 『 I'll be there for you if you should need me. 』 | |
(夜風の心地よい夜、今日も男の足は墓地を進む)308. − | |
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(吸血種に生まれたことを悔やんだことはなかった。自分はもともと吸血衝動が同属内でもさほど激しい方ではなかったし、衝動に理解のある友人や前墓守が傍にいてくれたからだ。それが『あの日』を境に、己の朔の在り方は変わり始めていた。気付いた時にはもう『ヤツ』は存在していた。足を引き摺り、つい先ほどまで談笑していた非吸血種を『獲物』と呼び、甚振るを嬉々する鬼。最初は抗いもしたが歳月を重ね、男はやがて、その夜には主導権を全てを明け渡すことにした。暴力性も利己的さも残虐性も、結局は己が内にある本能であると悟ったからである。その夜は、ただ脳の奥底へ追いやった理性に腰掛け、襲われる島民を見つめている。行き過ぎない限り(殺してしまわぬ限り)男はただ、目を逸らさず見つめている。) (夜が明け、謝罪行脚に回ることももう習慣化していた。ヒトの優しさに存分に甘えるしかない現状。それを憂うことも、時折何故だと嘆きたくなることも稀にある。されど、そうした感情は、表立つことも長引くこともない。いつだってたったひとつの誓いに相殺されるのだ。誓っている。他でもない自分だけは、自己を嫌悪するを許してはならない。どのような道を歩んだとしても、誰を傷つけてしまったとしても、それが彼らが助けた『自分』。己は生かされている。前墓守に、弟分だった男に、島の人々に、島に。狂っていようが血に飢えていようが、色々なモノに生かされている己を厭うことは、他ならぬ彼等への冒涜である。在るがままに。いつか闇夜で血に染まるのが愛しい人(或いは己)だとしても、きっと在るがままに。朔に差し掛かる夕暮れ時、きまって手は無意識にロザリオへとのびる―――これは逃避、なのだろうか。 響咲島の墓守として死者の安寧を守りつづける。約束は果たされなければならない。) (それはいつか迎える月の無い夜の話。) (墓地を見回る男の足元で、かしゃりと乾いた男が響いた。ランタンの灯りが照らす地に横たわった紙飛行機。そっと拾い上げて灯りを近づけると何かが透けて見えた。紙を開くと見覚えのある筆跡。差出人の名など必要なかった、その声が何度も語るを自分は聞いている。顔をあげ、教会の方角を遠く見て、男は静かに微笑む。忘れてはならない。自分は誓っている。もうひとつ、とても大切なことを。誓いは、守るためにあるのだ。紙飛行機だった紙を折りたたんで大切に胸ポケットへとしまいこみ、男はまた墓地の見回りを再開した。) | |