黒野さんへ311. 宿里恭一郎 | |
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(それは、奈良時代に薬草として渡来したと伝わり、日本で観賞用として栽培されはじめたといわれている。花弁は放射状に並びギリシア語のaster《星》を語源とした とても愛らしい見た目をしている。先人たちはそれを見て様々なうたを詠み、自分も暇つぶしに読んだ書物でいくつか見たことがあった。9月9日、早朝。いまだ店内に入ったことすらない自分だが何度もその外観だけは見ている。腕に抱えていたひとつを店のポストの上へ置く。白い封筒はポストへ投函した。中には『ベランダより臨んだ新月の夜空の写真』とシンプルな便箋が一枚ずつ。) ようやく満足のいく写真が撮れました。 それから、今日の為に色々と探したり、調べたりしていたんですけど… これは、貴方らしくて…いいえ、僕達らしくてすごくいいなと思ったので 少し気恥ずかしいですが、花を贈らせてください。 是非お店に飾って、……それから僕との色んな事を思い出して。 誕生日おめでとう。黒野さん。 (彼が住まうだろう二階を見上げるは数秒だった。今日も仕事が待っている。通勤が為、再び歩き出した男の背を見送るのは、薄紫色の可憐な花弁がひとひら。はらりと始まったばかりの秋の風がどこかへ運んでいく。シオン。その花言葉は―――。) | |
宿里さんへ312. 黒野 | |
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(黒野時計店の店内、カウンターに紫色の花が飾られている。店主はそれを眺め、指先でそっと触れては花を揺らしている。──9日の朝、ひびさきハイツの2階自宅から1階に降りて店のシャッターを開けるだけの“通勤”をした店主はポストの上に置かれた花を見つけて今日が誕生日だと思いだした。昨年もこうして店のポストに贈り物が届けられていたのを思い出し──ああそう言えばあの石を指輪にしたものをまだ見せていなかった──送り主に自然、思い当たる。ポストの中の封筒を取り、開店作業を終えてから封を開け……一葉の写真に切り取られた星空をそっと抱きしめたのだった) 宿里さんへ 素敵なお祝いを、ありがとうございました。 新月の星空はぼくが思っていた以上に綺麗で……これは、ぼくが新月の空に焦がれていたからでしょうか。宿里さんが満足できるまで写真に挑戦してくれたからでしょうか。 とても、嬉しいです。この空をずっと見たかったんだと思うと、本当に、ちょっと言葉が出ないくらいに。 いただいた花は店に飾っています(キクの仲間とは思ったものの名前が分からなかったので花屋さんに訊いてしまいました) アスターや紫苑の名前は知っていたのですが、花の形が確かに星のようですね。小さな星が集まっている様子はさしずめ星団でしょうか。 花の贈り物をいただいてしまうと、花言葉も気になってくるところですが── 確かに、ぼくたちらしいと思いました。 新月の不安も、高揚も、快楽も、恐怖も。夏に観た流星群も。傷付けたり、その痛みを思い知ったり。思えばいろいろなことがありました。 いくつか、交わしたままの約束がありましたね。近いうちにきっと果たさせてください。 (淡いクリーム色の便箋に濃紺のインクで綴った手紙は今朝投函した。店のカウンターでシオンの花は追想に導く。ステラ・ミラ、血を啜りあった夜、一方的に貪って逃げた夜。その甘美も痛みもかけがえのない、忘れ得ぬ星のきらめき) | |
---313. 宿里恭一郎 | |
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(今日は間違っても残業せぬよう綿密にスケジュールを組んだ。仕事合間の読書も控え、時計の針が勤務終了時刻をさすと同時に博物館を出る。お疲れさまでした、と挨拶もそこそこに。) (がたんごとんと揺れる電車の入口傍に立って、夕暮れの車窓を眺める。図書館前駅から、次の駅花都通横で下車する。年始、兄の下へ向かう際に見た何気ない風景と今では少しだけ違っていた。あのとき寒さに枯れていた木々はまだ葉を色づかせるをそわそわと待っていたし、駅に降り立った時に待ち構えていたのは木枯らしではなく、秋風と柔らかな夕日。季節も、そしてきっとそこに住まう人達もどんどん変わっていく。) (目的地に到着し、こっそりと店内をうかがい窓越しに見えた紫色の小さな花。――受け取った手紙の文面を思い出し、男は見慣れた外観前で人知れず唇を綻ばせた。花言葉を気に入って彼へ贈ったのは『本当』。けれどもうひとつ。己の持っている腕時計は問題なく動いているし、この店は通勤帰りに立ち寄るには逆方向。彼ならば”飾ってくれる”と思っていた。) こんばんは。まだお店やってますか? いえ。…きちんと貴方のお店を彩っているのか気になって見に来ちゃいました。 (『追想』だけじゃない。小さな紫色の星団は、ちゃんとした”彼へ会いに行く理由”。) | |