宿里さんへ338. 黒野 | |
|
(時期が時期なので手紙を添えた箱を見るなり配達人は皆まで言わずとも──むしろ何も言わずとも──分かるといった様子の笑顔で応じる。今更ながら気恥ずかしく、これならクリスマスの時のように直接行った方がと思いつつ「お願いしますね」と時計屋は贈り物を託す。ちゃんと2月14日に配達されるだろう、黒革を思わせる質感の細い箱。白い封筒は蔦の模様が型押しされていて、中には1枚の便箋に綴られた手紙) チョコレートを家族以外の誰かにあげるのは初めてだと今さら気付きました。 手紙を書いて配達してもらうだけなのに少し緊張します。 これは毎年自分用に買っているチョコレートで、目にも舌にも楽しくて好きなんです。太陽系の惑星と、太陽を模しているんですよ。 宿里さんの口にも合えば嬉しいです。 (封筒の中には便箋の他にカードが1枚。わざわざ得意でもない英語で綴ったのは単に気取ってみたかったのかそれとも照れ隠し、かも知れない) You bring color to my new moon. Happy Valentine's Day. (箱には丸いボンボン・ショコラが9粒、一列の標本のように収まっている。ショコラはそれぞれマーブル模様やシックな色で天体写真の通り星を表現していて、味は様々なフルーツやナッツのガナッシュ。星のイメージと味が合うかどうか考えてみるのもまた一興) | |
---341. 宿里恭一郎 | |
|
(バレンタイン…ウァレンティヌス…婚姻を禁止にされて嘆き悲しむ兵士達を憐れみ内緒で結婚式を行い、最終的に時の皇帝を怒らせ処刑された司祭の名前。2月14日、その司祭が処刑された日。ぱたんと分厚い本を閉じ、かけた銀縁フレームの眼鏡が傾くのも気にしないで憮然とした表情で頬杖をつき、溜息をひとつ。)……だって処刑の日ですよ、こんな日に浮かれてもいいものなんでしょうか。どんだけ心が広いんですかこの司祭様。(とん、と表紙に描かれた司祭の絵を指先でなぞって、くしゃくしゃと脱力するように後頭部の濃い蒼黒髪を掻きむしる。図書館の机をひとつ陣取って、テーブルにざっと積み上げた本は雑多に。聖書、哲学書、心理学書、歴史書、レシピ本エトセトラエトセトラ。それが共通するはひとつである。バレンタイン当日、男は仕事を午前中で終わらせ、午後は半休を頂戴しバレンタインについてかたっぱしから調べていた。) (いつもはひとり自分チョコを楽しんでいたが今年は『彼』がいる。いつもと同じという訳にもいくまい。で、あればどうするべきなのか…手作り?購入したチョコレート?そもそもバレンタインって何故チョコレートなのか…悶々とした疑問は、たかだか半日では上っ面しか解決せず、結局『バレンタインに何をどうするべきなのか』、そんなざっくりとした大きなテーマの成果を得られぬまま帰宅した昼下がり。ドア鍵を開けたところで、配達人にふと呼び止められ手渡される。箱と手紙だった。差出人の名を聞くとそれまでの陰鬱とした心持は刹那霧散した。)…黒野さんが…僕に?そう、ですよね。……そうですよね。ありがとうございます。(受領のサインをしアパートの室内へと急ぎ向かう。テーブルへ大切に置き、手洗いうがい身支度を済ませると再び箱と対面する。手紙を読み、己がこの日を(正確に言えばこの日の翌日を)ただのチョコレート大量購入&過剰摂取日として見過ごせなかったように彼もまたそうであったと実感をして。英文に香った新月の色に、高揚しはじめる気を落ちつけながら蓋を開けると……、そこには小さな宇宙が広がっていた。そのあとは天文書を広げながら味わうちょっとした宇宙旅行気分だった。一粒味わうごとにペンがさらさらと滞ることなく便箋を走っていく。最後の一粒を噛み砕いた頃には日もすっかり暮れていて、便箋達を封筒へ入れる。それを鞄へしまい、コート羽織ると男は再び外出をする。今夜も星空は美しい。今日はバレンタイン。とある心優しき司祭の処刑日。そして…恋人たちの愛の誓いの日。そう、答えはとてもシンプルだった。) (その日の夜、きっと黒野時計店の店が閉じる頃。店にはひとりの来訪者が現れるはず。)黒野さん、お仕事もうおしまいですか。……チョコ貰いました。とても美味しかったのでつい会いたくなってしまって連絡もせずにすみません。あの、これ僕の気持ちです。(差し出した分厚い封筒。便箋には太陽系を模したチョコレートとリアルの太陽系について、味から連想される星の関連性、その考察の結論などなどが書き記されている。どうか手紙の開封は是非とも自分が帰った後にしていただきたいところであった。なぜならば手紙もとい考察文の締めくくりは、――『ちなみに僕は太陽のチョコレートが一番好きでした。ほら、昔の詩人が言ってるでしょう?Love is Nature’s second sun.って。貴方の気持ちが何より嬉しかったです、ご馳走様。ありがとうございました。』なんて。きっと口にするのは躊躇うくらいの、学芸員なりの愛の言葉だったから。) | |